プロフィール

お子様が学校に行けなくなったとき、
お母様の心は、行き場のない不安や戸惑いでいっぱいになるものです。

「どうしてうちの子が…」
「私の育て方が悪かったのかもしれない」

そんな思いを抱えながら、涙をそっとぬぐう夜もあるでしょう。

もし今、そんな思いでこのページを開いてくださったのなら――
どうかまず、ご自身を責めないでください。
あなたは、これまで十分に頑張ってこられました。
そして、たくさんの愛をお子様に注いでこられたのですから。

初めまして。
親子関係改善カウンセラーの 愛原こずえ と申します。

私自身も、夫の心の不調、子どもたちの不登校、そして自分の限界に向き合いながら、何度も立ち止まり、涙を流してきました。

けれど気づいたのです。「夫や子どもを変えよう」とするよりも、
まずは自分の心をやさしく整えることが、家族を照らすいちばんの光になるのだと。

光が差し込むように

母である私の心が穏やかさを取り戻すにつれ、
家族の中にも、あたたかな風が流れはじめました。

笑顔が戻り、言葉がやわらぎ、
まるで新しい光が窓から差し込むように、家庭全体が少しずつ明るさを取り戻していったのです。


「こころのとまり木」に込めた想い

この場所は、そんな私の歩みから生まれました。

頑張り続けてきたお母様が、安心して心を休め、
また笑顔を取り戻せるように――。

どうぞ、この場所で羽を休めてください。

あなたは、まだご自身でも気づかれていない秘めたる力をお持ちです。
心が癒され、整っていけば、
やがてご自身の翼で、広い大空へと自由に飛び立っていかれることでしょう。

そして、その羽ばたきが、
やがてご家族をやさしい笑顔で包んでいくはずです。

こころのとまり木 は、

あなたの心がそっと安らぐ、あたたかな場所でありたいと願っています。

ここから先では、私自身の歩みや、
この活動を始めたきっかけをお話しさせてください。
少しでも、あなたの希望の光となりますように――。

私は、仕事一筋の父と、愛情深くも心配性な母のもとで育ちました。幼い頃は、人前に出るよりも
家の中で静かに過ごすのが好きで、
祖母と遊んだり、一人で机の中を整えたりしては、穏やかな時間に安心していました。

自分の気持ちをあまり言葉にせず、
親や先生の期待に応えようとする“素直で真面目な子”でした。
けれど、心の奥にはいつもどこか、
薄い膜に包まれたような「世界との距離感」がありました。

中学に進むと、周囲の勧めで学級委員などを務めることになりましたが、
本当は人前に立つのが苦手で、
責任感だけを頼りに乗り切る毎日でした。

高校に入る頃には、自分と他人を比べては劣等感を抱き、
「人は何のために生きているのだろう」と
胸の奥に問いを抱くようになりました。

楽しいことをしても、心のどこかはいつも曇り空。
そんな静かな葛藤を抱えながら、
私はゆっくりと“大人への入り口”を歩き始めていきました。

社会人になった私は、父の望む会社に勤め、
心の奥に生きづらさを抱えながらも、与えられた仕事を懸命にこなしていました。
「期待に応えることが私の役目」――そう信じていたのです。

やがて結婚をし、穏やかな日々が訪れることを願っていました。

けれど、結婚から半年も経たないうちに、夫の心の不調が表れ始めました。
仕事から帰宅すると、夫はその日の出来事を
何時間も不安や怒りのままに語り続けました。
私は妻なのだから、受けとめなければ」と自分に言い聞かせ、
眠る時間を削ってでも、黙って話を聴き続けました。

けれど、心の奥では次第に苦しさが募っていきました。
どんなに耳を傾けても、感情の嵐はおさまらず、
いつしか私は、夫を愛せなくなっていく自分に気づき、
そのことが何よりも辛くてたまりませんでした。

「内助の功を果たせない私は、妻として失格なのではないか」
そう思うたびに、胸の奥に深い罪悪感が沈んでいきました。

やがて体調を崩し、仕事を手放すことになりました。

けれど今思えば、あの頃の私は“誰かを支える”ことに必死で、
“自分を支える”という発想を持てなかったのだと思います。

娘が生まれたその日から、夫は一年間の休職に入りました。

初めての育児で最も支えが欲しい時期に、
何もせず横になっている夫を見つめながら、
胸の奥では「どうして…」という思いが何度も渦巻きました。

それでも、「心を病んでいる人にそんなことを思ってはいけない」と、
自分の感情を押し込めていました。

苦しい気持ちを感じるたびに、
「私の修行が足りないのだ」と自分を責め、
ただ静かに耐える日々を過ごしていました。

そんな中で生まれた娘は、想像を超えて愛おしい存在でした。
眠れぬ夜の連続であっても、
小さな手を抱くたびに、心の奥があたたかく満たされていきました。
初めて「生きていてよかった」と思える瞬間をくれたのが、娘でした。

けれど、夫の不調は完全には癒えず、
復職してもなお、夜ごと愚痴や不安を聞かされる日々が続きました。

乳飲み子を抱えながら、眠る間もなく夫の話に耳を傾け、
「妻だから、頑張らなければ」と自分に言い聞かせていました。

やがて、体は慢性的な疲れに蝕まれ、
車を運転中にふと意識が遠のくほどの限界を迎えていました。

それでも私は、

「家族を支えるのが妻の役目」という言葉に縛られ
自分を休ませることを許せませんでした。

そして、そんなある日。
私はようやく、自分の中に小さく灯っていた“限界の声”に、
静かに耳を傾けることになります――。

娘が五歳のころ、息子が生まれました。

その少し前から夫は糖尿病を患い、
心身ともに負担の重い日々が続いていました。

息子の世話は、娘のときのように丁寧にしてあげられず、
「ちゃんと向き合えていない」という罪悪感が心の底に積もっていきました。

最低限の家事と、娘の送り迎え、息子の授乳を終えると、
あとはただ横になるしかない――そんな毎日でした。

そんな中で、悲しい出来事が起こりました。
夫が娘を怒鳴りつけることが増え、
一時期は手をあげることさえありました。

息子を抱きしめながら「やめてー!!」と叫ぶことしかできず、
娘を守りたいのに、鉛のように重たい身体は動かず、
無力感に押しつぶされるような思いでした。

心も体も限界を超えていましたが、
助けを求める気力もなく、ただその日を生き延びるだけ。

児童相談所の訪問も一度きりで、
どこに助けを求めればいいのかも分かりませんでした。

それでも、崩れそうな家庭をどうにか支えるために、
息子を一時保育に預けて、昼間に少しだけ眠る時間を確保していました。

泣きながら離れていく息子に背を向けるたび、
心の中で「ごめんね、ごめんね」と何度も繰り返しました。

そして、そんな極限の中で――
「私はこのままでいいのだろうか」という、
かすかな問いが、心の奥で静かに芽生え始めていました。

娘の不登校が続くなか、
今度は息子が小学校一年生の冬から登校できなくなりました。
もともと幼稚園のころから行き渋りがあり、
私の膝の上で数時間を過ごすこともしばしばありました。

それでも当時の私は、
「まだ背中を押せば行けるかもしれない」と信じ、
付き添い登校や遅刻登校、放課後登校を繰り返していました。
「ママがいれば行ける」と言われれば、
朝から帰りの会まで空き教室で過ごしたこともありました。

けれど、娘も不登校、息子も登校できない――。
家に子ども二人と私、そして不安定な夫。
そんな状況の中で、私は完全に子育てに自信を失っていきました。

パートの仕事を始めたばかりで、時間にも心にも余裕がなく、
息子に穏やかに向き合うことができず、
イライラをぶつけては「こんな母親でいいのだろうか」と自分を責めました。
ときには息子を叱りすぎてしまい、
「ママに締め出されたのがつらかった」と後になって言われるたび、
胸が締めつけられるような後悔が押し寄せました。

そんな中、夫が失業しました。
家族全員が家にいる生活は、息が詰まるような毎日でした。
将来への不安、夫への苛立ち、
「この子たちはどうなってしまうのだろう」という恐れ。
頭の中はいつも混乱していて、
誰かに助けを求めたいのに、どこにも答えが見つからない――
そんな日々が続きました。

気づけば、夫への不満や怒りが、
無意識のうちに子どもたちに向かってしまうこともありました。
本当は「いい母親」でありたかったのに、
現実の私は怒ってばかりで、
自己嫌悪の中でもがいていました。

それでも私は、あきらめませんでした。
どこかに必ず助けや道があると信じて、
学校の先生、スクールカウンセラー、支援センター、
精神科医や心理士、福祉士、そしてママ友――
あらゆる人に話を聴いてもらいました。

涙を流しながら気持ちを受け止めてもらうたびに、
張りつめていた心が少しずつほどけていきました。
「ひとりじゃない」「応援してくれる人がいる」
――そう思えた瞬間、
心の中に、かすかだけれど確かな光がともりました。

そこから私は、再び前を向く力を取り戻し始めました。
心の病や子どもの発達特性、人の心のしくみについて学びを深め、
講座や本からたくさんの気づきを得ました。

ただ、この頃の私はまだ、
「どうすれば家族が変わるのか」という“方法”を探していたのです。
けれど、この探求の先に、
「まず自分の心を整えることからすべてが始まる」
という気づきが待っていることを、
このときの私はまだ知りませんでした。

あの頃の私は、
家族の笑顔を取り戻すために「何か学ばなければ」と強く思っていました。
心のこと、発達のこと、心理や子育てのこと――
学べばきっと、家族が変わり、幸せになれる。
そう信じて、次々と講座や本に向かいました。

けれど今振り返ると、
その思いの底には「家族を変えたい」という焦りと、
「自分がもっと頑張らなければ」という緊張が隠れていたように思います。
それでも、何かを学び続けることが
私にとって唯一の希望の灯だったのです。

そうして歩み続ける中で、
ある講座で思いがけない“つまずき”に出会いました。
それは、私にとって苦しい出来事でしたが、
後に大切な気づきへとつながっていく、
心の転機の始まりでもありました。

家族の笑顔を取り戻したくて、

私は学び続けました。

心理学、子育て、発達特性、心の仕組み――

「夫や子どもが幸せになれたら、きっと私も幸せになれる」

そう信じて、前を向いていました。

けれど、ある講座の課題がどうしてもできず、心が折れそうになったことがありました。

きっと普通のご家庭には自然にできるような内容だったのでしょう。

けれど、不登校の子どもを抱え、夫の心の病と向き合う私には、

その一歩がとても遠く感じられました。

「できません」と言えず、

「私が頑張ればきっとできる」と自分を責め、

気づけば心がすっかり疲れ果てていました。

別の講座に変えてみても、やはり途中でつまずき、

「また私はダメなんだ」と落ち込みました。

それでも、どこかで小さな声が聞こえたのです。

「もう十分頑張ってきたよ」

「いま必要なのは、学ぶことより、自分自身を休ませることだよ」――と。

そのとき初めて、私は立ち止まりました。

“誰かを幸せにするために学ぶ”のではなく、

“自分の心を整えるために生きる”という、

新しい視点に出会った瞬間でした。

その気づきは、まるで長い冬を越えて

やわらかな春の光に包まれるような感覚でした。

「夫を変えよう」「子どもを導こう」と必死だった私の心に、

初めて“自分を大切にする”という種が芽を出したのです。

そして、そこから少しずつ、私自身が穏やかさを取り戻し、

それに呼応するように、家族にも小さな変化が生まれていきました。

すべては、ここから始まりました――

“私の心を整える”という新しい歩みが。

心を整えることを意識し始めてから、
私の中には、少しずつ笑顔と穏やかさが戻ってきました。
家族の表情も和らぎ、
「もう大丈夫だね」と言える日が、確かに増えていったのです。

そして今では、親子で仲良く食卓を囲んで
笑い合いながら食事が出来るまでになりました。

あの長く苦しかった時間は、決して無駄ではありませんでした。
そこを通ってきたからこそ、何気ない平凡な日常がいかに幸せかと
心から感じられるようになりました。

そして、今の私には、同じように悩むお母様たちの痛みが
手に取るように分かります。

そして思うのです。
――今度は、私が誰かの心を支える番だと。

さぁ、次はあなたの番です。

私は、心の平安と家族の穏やかな時間を、
6年もの回り道をしながらようやく手に入れました。
けれど、あなたには、私のように遠回りをする必要はありません。

お母様の心を整えるための心理学的な手法と、
不登校のお子様に寄り添う具体的な関わり方――
それらを、あなたのペースで学び、実践できるように、
心をこめてお伝えしていきます。

まずは、あなたご自身が幸せになることから始めましょう。
お子様が一番望んでいるのは、
「お母さんの幸せ」だからです。

幸せは、「幸せだ」と感じている人からしか伝わりません。
我が子の幸せを願うなら、
お母さんご自身の心が整い、
笑顔が戻ることが何よりの近道です。

お母さんの笑顔が増えると、
子どもも、家族も、
自然と穏やかに変わっていきます。

どうしたら、心が整うのか――
その答えを、ここで一緒に見つけていきませんか。
よかったら、ぜひ一度、体験カウンセリングにいらしてください。
今まで語れなかった思いを、安心してお聴かせくださいね。

あなたのほんの少しの勇気が、
ご家族の未来を大きく変える第一歩になることでしょう。
お会いできる日を、心より楽しみにしております。

どんなに長い夜にも、
かならず朝は訪れます。

たとえ今は、光の見えない場所に立っていても、
あなたの心の奥には、
やわらかな灯が確かに息づいています。

その灯は、
お子様を想う深い愛であり、
何度でも立ち上がろうとする、静かな強さです。

どうか忘れないでください。
あなたが今日まで歩んできたその道のりは、
誰かを勇気づける光そのものです。

あなたの笑顔が、
またひとつの家庭に、
あたたかな春の風を運びますように。

―― 愛原こずえ